ほとり暮らし

びわ湖のほとり 日々の思い あれこれと

【もしもあの時】生きてるだけで奇跡

自転車大好き自転車小僧でした。

生まれ育った兵庫県伊丹市は、阪急電車とJRが乗り入れてますが、市内全域に行くための交通手段はバスです。

幹線道路が縦横にあり交通量が多くて、歩道をゆったりと歩く雰囲気は無く、自転車人口が多い街です。

幼い頃から自転車を乗り回し、自転車さえあればどこへでも行けると思ってました。

何台も自転車を乗り換え、社会人になってから無印良品のスポーツサイクルアルミATB自転車(26インチ)に乗り換えました。


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とても軽くて前傾姿勢で踏み込みやすく、普通に乗ってても速いのに、6段変速の最も重い「6」で最速で走っていました。

ムジチャリに乗った瞬間からスイッチが入り、レースで走ってるかのようでした。まさにひとりツール・ド・フランス

自宅からJR伊丹駅までは2.1km、歩いて30分ほど。ムジチャリだと軽く10分〜15分で行けました。

 

神戸のデザイン事務所に勤めていた27歳の頃、公私ともに多忙で常に時間に追われていました。

朝はギリギリの時間に家を出るので、必然的に自転車を速く漕ぐ。

いつも最速記録を更新していました。

自転車で日々のストレスを解消してたのかもしれません。

 

そんな初夏の通勤途中、スピードが出たまま道路の段差を乗り越えた時、後輪が浮き上がり、体が宙を舞い、頭から地面に落ちました。

腕と足の負傷と頭部打撲からの頚椎捻挫に全治6ヶ月、デザイン事務所を退職しました。

 

完全にスピードの出し過ぎです。

自転車小僧だった私は、調子に乗り過ぎてました。

よくクルマに乗ると豹変するヒトがいますが、私は自転車に乗ると豹変してたのです。

 

事故を起こした時は、仕事の悩みが多く毎日が憂鬱な上にプライベートもこじらせていて体調不良でした。

 

何とかしたいけど、どうしたらいいかわからない。

なりたかったグラフィックデザイナーの仕事を辞めるわけにはいかない。

継続は力なり、石の上にも3年という言葉を信じたい。

だけど、ただ毎日同じルートを必死で走ってる感じ。

もうこのルートから外れたい。

 

今日も最速記録更新か…に見えた瞬間、コースアウト。

 

自転車から体が浮いて宙を舞ってる瞬間、「あ 終わったな」と思いました。

地面に落ちた時の痛みは壮絶。

腕と足から血を流しながら、自力で歩いて自転車を押して病院へ行く道中、なぜか「やっとこれで仕事を辞めれる」と思って安心していたのです。

 

夢だった職業を手に入れたにも関わらず、自分の実力不足に苦しんでいた。

自分がデザイナーに向いてないことを受け入れられず、仕事にしがみついていた。

辞めようと思えば辞めれたのに、勇気がなかった。

自分と向き合っていたら、こんな事故を起こさなくて済んだはず。

27歳にして生き急いでました。

 

事故後、リハビリ生活を過ごすなかで引きこもりになったり、躁うつ病らしき症状が出たりしましたが、無事回復して転職し、2004年11月に結婚しました。

 

その翌年。

2005年4月25日の朝、JR福知山線脱線事故が起きました。

神戸への通勤でよく乗っていた時間帯の電車でした。

たくさんの命が犠牲になった脱線事故

もし自転車事故を起こさずに、ずっと仕事を続けていたら、乗っていたかもしれない。

自分がそこにいてもおかしくなかったのだと思うと、脱線事故は他人事ではなくなりました。

 

自分は生かしてもらっている。

 

先日、伊丹に帰った際に脱線事故跡地を電車で通過しました。

心からの黙祷を捧げ、今、生きていることに感謝しました。

 

様々な要因で人生が織りなされている。

自分ではどうにもできないこともある。

でも、自分次第で変わることもある。

 

「何度でも生き直せばいい。」

いつも勇気をいただいている坂爪圭吾さんのブログ「いばや通信」に書かれていた言葉です。

 

私はこの人生のなかで何回か生まれ変わってるのかも。

今は琵琶湖のほとりで、ゆったりと生きてます。

マイペースに、日々を愉しんで。

 

今夜は火星大接近。

最近、老眼になってきたのでちゃんと見えるか不安ですが(;・∀・)

次の大接近は2035年

きっともっと老眼がすすんでる。

今夜、しっかり空を見上げたいと思います(*゚∀゚)

 

 

おわり