ほとり暮らし

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【お酒】飲まなくなってからの変化

お酒を飲まなくなって約2年経ちました。

今回は飲まなくなってからの自分自身の変化について書きます。

 

〜身体の変化〜

①肌がキレイになった

アルコールを摂取すると利尿作用が促進され、肝臓はフル稼働状態。

必然的に体内の水分は失われると同時に肌の水分量も減っています。

お酒を飲まなくなる=アルコール分解が不要なので、適切な水分量が保持できているのではないでしょうか。

②睡眠の質が向上した

前述した肝臓のはたらきと同様、アルコールを摂取しなければ睡眠時に内蔵がフル稼働することが無いので、身体は休むことだけに集中できています。

寝付き良し、寝覚めよし(・∀・)

③太らない

アルコール摂取しながらの食事は、通常の食欲を超えてしまう傾向がありました。

お酒のカロリーはかなり高いのに、さらに酒の肴を食べれば太って当然。

アルコール無しの食事だと、五感が冴えた状態で食べ物を存分に味わうので、必要充分な量で満たされます。

味覚も鋭くなりました。

④体力が向上した

アルコール摂取しない身体は、内蔵の損傷が無いので、疲労感がありません。

むしろ運動欲求が生まれ、日々のトレーニングが日課になり、体力は上がるのみ。

 

〜精神面(内面)の変化〜

内観することが日常化

ヨガを教えていたことも影響していますが、自分自身の内観がいつでもできるようになりました。

ストレス解消のために何かに依存するのではなく、ストレスを感じた瞬間にそのストレスを無くすための解決に全力を使えるようになりました。

何かに依存しない。

問題から逃げない。

精神力が強くなったと思います。

 

現在について

嗜好品の類を一切摂取しないわけではなく、疲れを感じた時にはコーヒーを飲んでホッとひと息ついてます。

コーヒーは一日に2〜3杯飲みます。

でも、お酒を飲むと身体が拒否反応を示します。

お酒も嗜好品の類のはずなのに、今や私の身体にとっては異物(毒物?)が侵入してきたかのような反応です。

 

心と身体の不一致

お酒を飲んでいた頃は、脳がアルコールを欲していただけで、身体の方はアルコールを欲していなかったのだと思います。

脳(心)と身体の不一致が引き起こす弊害は、お酒だけでなく過食にも当てはまります。

ダイエットに失敗するのは、心を置き去りにしていることが原因だと思います。

 

お酒に対する最新医学の見解

さて、お酒は適量なら薬になると言われてましたが、最新医学のエビデンスによると、どうやらそうでは無いようですね。

医学雑誌『ランセット』誌に掲載された論文

アルコールはたとえ少量でも健康に悪いという報告でした。

先日、勝谷誠彦さんが重症アルコール性肝炎で亡くなられました。

お酒のせいで亡くなられたことが残念でなりません。

 

以上、お酒をやめたことについて書きましたが、身体と内面の変化は良い事ばかり。

頭が冴え、身体も元気。

時間が有効に使える。

気分の浮き沈みが無い。

お酒をやめたことのデメリットは全くありません。

嬉しいことに、近頃はノンアルコール飲料がとても高品質になりました。

外食の時にはノンアルコールビールを飲んで楽しんでます(*゚∀゚)

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アサヒドライゼロフリーがお気に入り♪

 

 

おわり

 

 

【お酒】忘年会で飲まないこと

忘年会シーズンです。

12月に入り、忘年会が続いております。

かなり前に記事にしたとおり、私は約2年前からお酒を飲みません。

【習慣を見直す】お酒を飲まなくなったこと。

飲めないのではなく、飲まない。

飲みたいと思わなくなってしまったからです。

※ちなみにお酒を飲まなくなってからの身体の変化は劇的に良い事だらけという自らの人体実験で実証済みなので、それはまた別で書こうと思います。

 

そんなわけで、飲み会ではよく最初の乾杯だけでも…とグラスにお酒を注がれますが、乾杯だけして飲むことは一切ありません。

 

先週は会社の公式かつ盛大な忘年会でした。

なぜ飲まないのか?をたくさんの人に聞かれるたびに「昔はかなり飲んでいたけど、もう飲みたいと思わなくなったので飲みません」と正直に話しても不思議がられるばかり。

いっそのこと飲めない体質ということにした方が良いのかも?

 

昔と違って無理やり飲まされるようなことは無いけど、飲まない人っていうのは残念がられてしまうものです。

私自身が飲んでた時期、飲めない人に対して残念な気持ちを抱いていました。

飲んだら楽しいのに何で?と。

今は飲めない&飲まない人の気持ちがとてもよくわかるようになりました。

私は飲まなくても楽しいです。

普段ゆっくり話せない人と話せるだけで充分に楽しい。

相手が酔っててまともに話せてなくても、それはそれで面白い。

私は人と話すことが好き。

これに尽きます。

また今週も忘年会がありますが、楽しみです(*゚∀゚)

 

 

おわり

【シクラメン】花を贈る幸せ

昨年の今頃、近所のホームセンターで売っていた白いシクラメンに一目惚れ。

赤やピンクのシクラメンの中でひときわ凛とした雰囲気を放っていた白い花。

この美しさを誰かに伝えたくて、大阪に住む母に贈ってみた。

2〜3日後、宅急便の到着と共に母から喜びの電話が入り、とても嬉しかった。

冬が終わっても春頃まで開花を楽しめたらしい。

母の家の南向きの出窓はシクラメンにとって快適な環境みたい。

 

今年もまたシクラメンの季節がやって来た。

昨年より大きめで、花びらに特徴のあるサーモンピンクのシクラメンを母に贈った。

「いつもありがとう」のメッセージを添えて。

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昨夜、届いたよと母からの電話。

昨年より大きな鉢、上品なピンク色を気に入ってくれた様子で安心した。

 

花で季節を感じる暮らしって素敵だな。

週末、自分用にお気に入りの花を買いに行こうかな。

 

 

 

おわり

【再認識】そうだ、私はマンガオタクだったんだ…

今月から仕事の研修が始まり、新しい知識の吸収と理解に脳が追いつきません。

帰宅すると心地よい疲労感を覚えますが、なかなか充実した毎日です。

夜ごはんを食べた後、音楽を聴きながらお茶を飲むひととき。

今日もいろんなことがあったな〜と回想。

何をするでもないぼんやりした時間を過ごすのが常でした。 

 

しかしですね…

 

先日、ネットの広告に入ってくるコミックサイトの無料版をポチッと開いて以来、マンガの世界に足を踏み入れてしまいました。

ヤ・バ・イ・・・

なるべく見ないようにしていたコミックサイト。

めちゃコミック、コミックシーモアebook japan…などなど。

今のところ、まだ無料の話しか読んでません。

これ、課金し始めたらきっと破滅します。

なぜなら私は小学校の頃から筋金入りのマンガオタクだから。

マンガ本所有冊数は軽く100冊を超えていて数えきれないほどありました。

マンガから得た知識、知った世界。

マンガによって形成されてきた人格。

マンガ漬けで生きてきたと言っても過言ではない。

20代後半の独身時代、このままだと現実世界に馴染めなくなってしまうのでは?と怖くなりました。

社会人になってからの愛読書、安野モヨコの「ハッピー・マニア」を最後にマンガ購入を辞めたのでした。

自らマンガを遠ざけようと、断腸の思いで所有していたマンガを全て手放しました。

それはまさにマンガ断ち。

 

【そんな私の殿堂入りマンガ】

 

…他にもまだまだあって書ききれないくらい。

少女マンガ、少年マンガギャグマンガなど、ジャンルは様々、雑食系です。

昔の本をまた読み返したいなぁ

 

さて、話を戻して最近ハマりそうになっているコミックサイトのマンガについて。

いい歳したおばちゃんなのに、少女マンガのジャンルが楽しくて。

忘れかけてた若かりし日の感覚がよみがえる。

お気に入りは尾崎衣良先生の作品。

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こちら、「深夜のダメ恋図鑑」。

ズバズバ言う女子、古賀 円に激しく共感。

わかる、わかるよ!

辛口すぎる円に自分が重なって怖いわ!

 

コミックシーモアで無料で読めるところを全て読み、続きが読みたくてたまらない。

近所のツタヤで探してみたら、「10冊700円レンタルコミック」のコーナーに尾崎衣良作品を発見!ひゃっほぅ!!

スマホで読むと目が疲れるので、やっぱり紙の本が良いわね(老眼)!!!

そんなわけで、好みの本をコミックサイトで発掘後、ツタヤでレンタルするという方法にたどり着きました。

夕食後のティータイム、マンガを愉しんで、乙女心を思い出してます。

キュンキュン(*゚∀゚)

 

 

おわり

【わたしノート】「楽しい」が最上級。恋愛ってなんだろう?

昨日、自分は恋愛体質じゃないと書きました。

それなりに恋愛(何人かとお付き合い)をしてきましたが、恋愛体質じゃないと思います。

誰かを好きになる感覚は持ってます。

でもそれは、 好き=憧れ の感覚が強いです。

主に対象は憧れのミュージシャンやお笑い芸人。

しかしそんな素敵な対象者は、現実社会の一般人になかなか居ないわけで。

一応、そこのところは理解の上で恋愛をしてきました。

でも、いつもどこか物足りない。

相手も私という人間がよくわからない(イメージとギャップがある?)ようで。

デートをするとなると、行く場所、選ぶ店、コンセプトなどの企画全般は私の役割になることが多く、気付いたらリーダーシップを執ってしまってたり。

なんだか頼られてるな、楽しくないなぁ…と思うことがしばしば。

でも恋愛は「楽しい」というより、ただ一緒に居られるだけで幸せ♡と思えたら最高なんだろうから、楽しくなくてもいいのか?と。

だとしたら、恋愛ってなんだかつまんないなぁ…と思ったり。

恋愛ごっこをしてただけなのか…。

人を本当に好きになったことがないのかも。

本当に好きな人に出会っていないのかも。

我ながら残念な事実に今さら気づく。

「楽しい」が最上級なまま、恋愛の醍醐味を知らずに今に至ってる?

誰と過ごすと楽しい(幸せ)か?というと、家族や友人と過ごす時間の方が断然、楽しかったし幸せでした。

今までの人生で楽しかった旅行はどれ?と思い返すと、友人と行った旅行が真っ先に浮かびます。

間違っても新婚旅行(ハワイ)は思い浮かばない。

なんだったら新婚旅行はワーストランクに位置づけされてます。

新婚旅行の出発前、関西空港に到着した時かの出来事が辛すぎて。

 

それはクルマのトランクから二人分の荷物を降ろした瞬間のこと。

「なぜ荷物を一つにまとめられなかったのか?」と、激昂。

出発日まで多忙でパッキングを私に任せた夫。

なるべく1つにまとめろと指示されていたけれど、大きいスーツケースが無かったので、お互いが持てるサイズのカバン2つに荷物を分けたのです。

帰りはお土産もあるし、カバンにゆとりがある方がいいだろうとも考えました。

「おまえの判断は全て間違っている」

「なぜ言う通りにできない?」と、恫喝。

激怒しながら、関空入口付近のクルマが行き交う歩道に荷物を広げて、1つのカバンに無理やり荷物を詰め始めました。

なんとか無理やり一つにまとまって、

「ほら、できるやろ」と、怒ったまま出発したのでした。

ハワイに着いてから少しずつ普通になりましたが、全般的に楽しくない旅行でしたね。

 

願わくばもう一度ハワイに行きたい。

一番楽しめそうな姉と一緒に♪

 

 

おわり(*゚∀゚)

【非恋愛体質】面白いことばかり追いかけてた短大時代

神戸の短大時代、仲の良いグループ7人で過ごしていました。

住んでる場所が神戸方面の3人と、大阪方面の4人に分かれていて、私は大阪方面組でした。

大阪組はお笑いが大好きで、いつも学校が終わってから心斎橋二丁目劇場に通っていました。

華やかな短大時代をお笑いに捧げたと言っても過言ではないくらい、お笑い三昧の日々。

面白いことばかりを追いかけていました。

おかげで毎日が楽しく、恋愛とは縁遠くなるばかり。

しかし神戸組のMちゃんのみが恋愛の達人で、いつもMちゃんの話を聞いては「ほほぉ…」と羨望の眼差しで見つめていました。

私たちはいつもお互いの恋愛について赤裸々に語り合ってました。

素敵だと思ったらヒドイ男だったパターンが割と多く、「私ら、ほんま見る目無いよな〜」と自分たちを【見る目ナイーズ】と称してました。

私はというと、面食いでチャラい人に惹かれやすく、痛い目にあう事例がしばしばありました。

常に【見る目ナイーズ】のリーダーだったかも。

卒業して数年経ち、私たち7人はそれぞれ結婚して子供が生まれ、個々に会うことはあっても全員で集まることは無くなりました。

お互いの詳しい近況はわからないけど、便りがないのは元気な証拠なのかな?

またみんなで会いたいなぁ…(人´∀`*)

 

 

おわり(*゚∀゚)

 

【わたしノート】今日も生きたなぁという感覚

仕事に行き始めて一週間経ちました。

ブログ更新ペースが落ちてますが、毎日いろいろあって、書きたいことばかりです。

このブログを読んでくださっている皆さま、お元気ですか?

私はおかげさまで元気に過ごしています。

月並みな表現ですが、毎日が充実しています。

様々な人と関わりながら仕事をすることが楽しいです。

今まで在宅の仕事だったので、人との交流が少なく、コミュニケーションに飢えてたんですね。

学ぶこと、覚えることが山積みだけど、周りの皆さんが温かく見守ってくださるので、有り難いです。

職場の皆さんは良い人ばかり。

働く前は不安だったけど、そんな不安はすぐに吹き飛びました。

 

毎日、眠りにつくときに「今日も生きたなぁ」と思う幸せ。

こんな感覚は、久しぶり過ぎて驚きです。

独身時代以来かもしれない。


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結婚後、環境や生活習慣の変化と共に自分自身の変化がありました。

勤め人だった夫が起業したことをきっかけに、事業をサポートすることが最優先の生活になりました。

生活基盤を安定を優先させるためと理解しながらも、自分が意図しない方向に進んでいました。

自分の人生なのに、自分が不在という感じでした。

違和感に向き合わずに日々をやり過ごすと、自分の感情がわからなくなります。

この数年は淡々と生きていたように思います。

淡々と生きてたのですが、わずかながら残っていた本来の自分の感情が限界を感じた、昨年末の朝に起こったある出来事。

表面張力を保っていたコップの水が一気にこぼれ落ちていくように、その出来事をきっかけに限界を超えてしまった自分の本来の感情が溢れてきたのです。

それは些細な喧嘩のようでしたが、生き方を考え直す出来事となり、外で働く原動力となったのです。

人は何度でもやり直せると私は思います。

7年振りの社会復帰、なかなかハードですが、自分を信じて進んでいきたいです。

 

 

おわり(*゚∀゚)