【鑑賞】アンディ・ウォーホル・キョウト
2022年12月15日
アンディ・ウォーホル・キョウト@京都市京セラ美術館へ
京セラ美術館となってリニューアルしてから初めて訪れた。
前回の訪問は2013年11月の竹内栖鳳展だったので約10年ぶり(!)だ。
重厚感あるクラシカルな建築様式の中にすっきりとした空間を多用し、使い勝手のよいカフェも併設されており、気軽に立ち寄ってみたくなる場所へと生まれ変わっていた。
チケットを提示してバーコード付きのカードをもらい、ゲートで読み取って入場。
展示作品はスマホ撮影可能(動画はだめ)とあって、誰もが自由に作品を撮影していた。
ウォーホルの作品は知っていても彼自身については深く知らなかったので、作品とともに紹介されるエピソードの数々に驚かされた。
初期の作品である「孔雀」は、彼が出会って夢中になった男性のことを想って描いた作品だとか。
遅まきながらここで初めて彼が同性愛者だったことを知る。
敬虔なクリスチャンであったというウォーホル。「馬に乗るキューピッド」、「教会の前の猫」などから信仰が身近なものであったことをうかがわせる。
1956年と1972年、京都に来たウォーホルが見たものをさらりとドローイングしたスケッチ「清水寺」、「僧侶」、「舞妓」はウォーホル目線で日本文化を切り取っておりとても新鮮だ。
ウォーホルは生け花に造詣が深かったようで、それらを描いた作品「花」には画家としての一面が色濃く反映されていた。
しっかりとした筆致の手法からのちにポップな手法に移行していくが、やはり基本的にめちゃくちゃ絵がうまい(平易な言い方だが)のだと改めてわかる作品だ。
なにごとも基本あっての応用なのだと納得する。
代表的な作品「キャンベル・スープ」、「ブリロ」は商業デザインの代名詞であり、かつてグラフィックデザインをしていた頃にお手本として鑑賞していた。
本物見たさにニューヨークのMOMAにまで行ったのは遙か20年前のこと。
あの頃はウォーホルのことをポップアートの巨匠としか捉えてなかった。
今回の展示は彼自身の内面に迫っており、成功者ゆえの苦悩も感じ取れた。
華やかな作品を生み出す一方で、「影」という版画の3部作からは影の中に様々な感情を込めているように思えた。
実際に間近で観るとダイヤモンド粉でキラキラ輝いているのだが、そこに悲しみや孤独が垣間見える不思議な作品だった。
私には美術館で展示作品を間近に観ている時にしばしば起こる現象があって、作品から何らかの気(?)のようなものを感じて「うっ」と感情がこみ上げてきてしまうことがある。
今回はこの赤と黒で構成された「影Ⅴ」の作品の前でそれが起きた。
惹きつけて離さない何かがあって長い時間立ち止まり見入ってしまった。
影なる部分に焦点を当てた作品も数点あった。
「ツナ缶の惨劇」という作品は、ツナ缶に混入していた菌による死亡事故の写真を素材に用いており、身近に起きた出来事から死をテーマとしながらも、死ぬことへの恐怖を作品にすることで昇華させていたようにも思えた。
展示エリア最終章には巨大作品「最後の晩餐」が待ち受けていた。
キリストとバイクがポップに並ぶさまが印象的でちょっと笑えてしまうのだが、大好きなバイクをキリストと一緒に描くウォーホルの純粋さに心を打たれた。
やはり晩年はキリストへの信仰が彼を支えていたのだろうか。
もう出口が目の前に見えたので、順路を戻って気になった作品を再び鑑賞した。
作品との別れが名残惜しくてたまらない展覧会だった。